リネンの匂いでむせて

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 自分のことでしか悩めなくて、自分のためにしか話すことができないから、たぶんそこそこ幸せなんだろう。誰のことも思い出さない。着なくなった服をまとめてダンボールに入れて、読まなくなった雑誌をガムテープでぐるぐる巻きにして、生活に小慣れてきたと思う。もっと惨めで恥ずかしい人になるべきだった、誰も買わない自作の詩集を夜のアーケードに並べて、熱狂的に好きな異性のために10000字のラブレターを書いてメールで送りつけるような、そういう人に。内臓が押し潰されるほど惨めな経験をしないまま24歳になって、苦手なことも下手なこともしなくていい代わりに、今まともな大人だ。ドロドロした欲望やルサンチマンも、昔より少しだけうまくかわして暮らしてゆける。写真の勉強を始めたばかりの頃は、作品を見せるという行為がそれに近かったはずなのに、最低限のレベルで恥をかかない差し出し方も覚えてしまった。大学に入って初めてのデートの前日に買ったストーンズのTシャツを笑いながら捨てることができるし、お洒落でクリエイティブな人生に死ぬほど憧れて毎号買っていたPOPEYEを懐かしく読み返すこともできる。ありきたりな挫折と恥しか味わっていないから、言葉は表層を撫でてスラスラと滑り、文章は誰にも届かずインターネットを流れていく。昔好きだった人の写真はいつ見ても最高。印画紙に写っているのはかつてその人がそこにいたことの痕跡だけで、いま・こことは決して交わらないからどこまでも救いがなくて、大切にとっておくこともできるし、捨ててしまうこともできる。もっと惨めになるはずだった、ドラマみたいに情けないセリフを吐けばよかったけど、中野の居酒屋で向かいに座っていたあまり知らない年下の男に「思ってもないことをよくしゃべりますね」と言われて、そうやって受けとられることにも慣れてきて、これからもずっと惨めになりきれないのだろうと思った。思ってもないことを書くこともできる。眠れなかったから少し歩いてコンビニで缶酎ハイを買って、歩道橋の下で飲んで、レンタルショップでDVDを借りた。映画を観てわかったようなことを言わなきゃいけないと思うのはついこの間まで大学でずっと研究に追われていたせいで、頑張ればそれなりに理解できるかもしれないけど、今はわからないことをそのままにしておくのが苦にならない。会社に入ってから校正の仕事が続いていたので、川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』をたまに読み返したりした。もしも女性に生まれていたら、川上未映子に憧れてなりたくて仕方がなかったはずだ。すこし痛々しい文章を書いて、ありきたりなエピソードしか書けない自分に気がつく。たぶん今と同じだ。単純に写真を撮るのが好きだったのに、理由がないと撮れなくなってしまって、写真をやめるときはもっとクソしょうもない理由でやめる。「仕事が忙しくて」のひとことで納得してしまうような理由でやめるのはあまりに真っ当すぎて、それは悔しい。夏までに暗室で手焼きをしようと思う。新しいことを覚え続けて、撮りたいものに出会い続けて、その場限りの延命を繰り返す。今はそれが肌に合うから、身の回りの大抵のことがそういう感じで先延ばしにされていて、決定的にダメになったときにはじめて清算することになる。終電を逃して西武新宿の雑居ビルに流れ込んだ日の朝に、湿ったリネンの匂いでむせて飲み込んだ烏龍茶を床に吐いた。パーテーションで仕切られた部屋のはおそろしいほど空虚で、善悪や倫理からは果てしなく遠い。新宿駅に向かう途中、大学院時代の知人が東京のアパートを出て実家に帰ったらしいという話を別の友人から電話で聞いて、すこし寂しくなった。